見守る

今回は見守ることについて書いていきます。

私の父は私が小学生のころ病気から左半身麻痺が残り身体障がい者となりました。退院して間もないころは杖を使い靴も装具付きでなければ歩くことも儘ならない状態でした。
母はそんな父に対し優しく介護をするのではなく、いつも父に近所のスーパーなどに買い物をお願いするなど小さかった私からするとただ「厳しいな」と思っていました。
しかし最近になってその当時隣に住んでいた方から「あなたのお母さんはお父さんに厳しいことをわざと言って、出ていく姿を玄関からいつも心配そうに見守っていた。あなたのお母さんは凄かった。」という話を聞きました。
今になって思えば、それ母がから父に対しての愛情だったのだと理解できます。
その身体を動かすことがリハビリとなり、その後何十年も左半身麻痺はかなり残っていましたが、杖や靴の装具を付けず歩いたり、何とか日常生活を送ることができました。
その時に父に対し怪我をしないように大事に守っていれば、きっと満足に生活もできなかったでしょう。

大切な家族や恋人や友人が困っていれば困っているほど、心配からついつい手を差し伸べてしまいそうになります。
そこでその人の代わりにしてあげたり、手取り足取り教えてあげたりすることはできます。しかし安易に手を差し伸べることで、その人の成長を阻害してしまう可能性があります。
ここで大事なのは見守ることなのです。見守るとは無事であるように注意しながら見ること、またなりゆきに気を付けながら見ることです。
困っている人が迷ったり、不安になったり、自分に力が足りないと感じていたりしていることにあえて手を出すのではなく、自分で考え気付くことができるよう応援してあげる事が大事になります。
見守ることは放置とは違います。無事であるように注意をしながら見ることですから、本当にどうしようもないときにはいつでも助けができるよう信じて待つことです。
その人にできると信じてあげるからこそあえて見るのですが、これが簡単そうで中々できないことですよね。

しかし目的はその問題を解決することではなく、その問題を解決するための考え方や捉え方、そして解決できた時の自信を持つことで、また次の問題ができたときに自分の力で解決できる能力を身に着けることなのです。
これは心理カウンセリングも同じことです。一つの悩みを解決しても悩みは必ずいつでも存在します。また私が「こっちが正解だ」と考えていたとしても、その人にとっての正解はまた別にあるかもしれません。
自分の人生なのにその度に誰かに頼り、解決を望んでいたのであれば、いつまでたっても自立できませんし、私もその人の傍にいつまでも寄り添うことは約束できません。
そして自分の人生にあった正解も本人にしかわかりません。
ですので、心理カウンセリングでは自立するために持つべき知識や力を理解するところから始まります。私はこれからも心理カウンセリングを通し、クライアントを信じ見守っていきたいと考えています。

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