あざとい

今回はあざといについて書いていきたいと思います。

最近あざといという言葉をよく耳にするようになってきました。
それはテレビ番組でタイトルとして使われているということもあると思います。
あざといを辞書で調べてみると、「やり方があくどい。ずうずうしく抜け目がない。」といったようにネガティブなイメージで使われることが多いようです。

周囲からすると、自分の目的を達せさせるためになりふり構わずというのが際立ってしまい、控え目にしている自分と比べて必死さが目に付いてしまうのでしょう。
人によってはズルさを感じる人もいるでしょう。

確かに控え目にして奥ゆかしさを大切にすることも大事なのでしょうが、やはり自分をアピールするという点では多少のあざとさがなければ数多くの一人として埋もれてしまうでしょう。

例えば就活をしている人であれば、面接後にお礼状を書くのもあざとさですよね。
これもその人の価値観によって変わりますが、最後の一押しになればと思いお礼状を書く人も多いでしょう。

テレビで、スポーツ選手が競技前に審判などにいい印象を持ってもらうために行動しているというお話もありました。
これも立派なあざとさですよね。
いくら審判といえどもやはり人間で感情というものが存在します。
悪い印象を持たれるよりは、いい印象を持ってもらうに越したことはありませんよね。
ある選手は、試合中でも「審判」と呼ぶのではなく、「〇〇さん」と審判の名前を呼んでいたと言っていました。

私も実際の所、自分をアピールするために心理カウンセリングという名称ではなく、催眠心理療法士という名称を使うようにしています。
その方が相手に覚えてもらえやすいのです。
そしてカウンセリング中もできる限り、失礼にならない程度に苗字ではなく名前を呼ぶようにしています。
そうすることで親近感も持ちやすく、信頼関係も築きやすくなるからです。

人からすると気にいらないという人もいるかもしれません。
しかしあざといのは「目的がどこにあるのか?」ということではないでしょうか?

あざとさを演出するほとんどの目的はアピールをしたい人であって、周囲の人ではないのです。
周囲の人にいい印象を持ってもらうよりも、アピールをしたい人だけにターゲットを絞っていく方が効率的だと思いませんか?

そもそもあざとさに嫌悪感を抱く人は、「プライドが・・・」「年齢が・・・」「常識が・・・」などを理由に「自分にはあんなことできない」と相手を攻撃しようとしているのです。
それは自分がアピールできないからこそ抱く嫉妬心なのです。
「自分にはあんなことできない」のであれば、素直に相手のできることに評価をしてあげればいかがでしょうか?

あざといのも人とは違った視点を持ち、人には気付かないようなことができるからこそ効果があるのです。
そう考えると、あざといのは簡単にできないことではないでしょうか?
もしあざとい人が周りにいるようでしたら観察したり、話をしてみたりすることでこれまでとはまた違った世界が見えるかもしれませんよ。

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