思うと考える
今回は「思う」と「考える」の違いについて書いていきます。
私は、国家資格 キャリアコンサルタントの資格を所持しており、就労支援などの相談も行っています。
再就職時や初めての就職のときには履歴書は必須ですよね。
その中にある志望動機の欄。
頭を悩ませる結構大きいスペースです。
また転職の際は、履歴書だけでなく職務経歴書なるものも一緒に提出することが通常になります。
そうなってくると志望動機だけでなく、自己PRなども書くようになるとどう書いていいのかわからない人や書いたけど「本当にこれでいいのか」不安になる人も多いので第3者の意見として応募書類の添削を行います。
そこで私がよくアドバイスさせていただくのは、「私は○○だと思います」という文章を「私は○○だと考えています」という表現に変えるということです。
「思う」という言葉は、物事に対してある感情や意識を持つということです。
主観的に心が感じた自分の意見や気持ちが「思う」という言葉になります。
「考える」という言葉は、知識や経験に基づいて、筋道を立てて頭を働かせるということです。
「考える」という言葉は論理立てて、客観的に判断するということです。
友達や家族といった通常の日常会話であれば、「思う」でも「考える」でもそんな意識を持つことはありません。しかしビジネスの場で考えると自分のことをアピールする必要がある場で、「思う」では裏を返せば、「自分の中ではこう思っているが人はわかりません」といった自信の無さを暗喩してしますのです。
それに対し「考える」は自分のことを客観的に分析し判断していることですから、「私はこんな所に自信を持っています」とアピールできるのです。
自信がない人はこの「思う」と「考える」という言葉以外にも、はっきりと断言することを苦手とします。
そこは日本人特有の謙虚さや奥ゆかしさであまりにもアピールすると相手に引かれてしまうと考えることもあるでしょう。
しかしあまりにもそういった自信の無さを言葉や態度で表現することは、本当に相手は自分を信頼し、「この人と一緒に仕事をしたい」と感じてくれるでしょうか?
自分が自分のことを信頼できていない人を、周囲の他人が自分のことを信頼してくれるのでしょうか?
私はちょっとした文章にもそういった細かな印象というのは存在すると考えています。
また応募書類だけでこれだけの違いを考えることができるのですから、面接になるともっとたくさんの自分自身の情報を相手に伝えないといけません。
自分のことは自分にしかわからないわけですから、自信を持って表現することを勧めています。
今回は就労支援の面での例で書きましたが、これは恋愛も周囲とのコミュニケーションも同じことが言えます。
興味がある方はお気軽にご連絡ください。
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