結果

今回は結果について書いていきます。

自分の未来がどうなるのか気になる人が多いと思います。
人によっては自分の未来を占ってもらい安心感を得たりする人もいるでしょう。
未来が確実にわかっていればこれから起きるべき事態に備えることもできます。
しかし未来が本当にわかるということは人の好奇心から考えて良い事なのでしょうか?

私が実際の体験で感じることは、「催眠術はすぐに飽きる」ということです。
私は時折人前で催眠術を披露することがあります。
そう、テレビでやっているようなショー催眠です。
腕が曲がらなくなったり、自分の名前が言えなくなったり、自分の力で立ち上がることができなくなったりするようなショー催眠です。
初めてショー催眠を観る人は「えっ?テレビはやらせじゃなかったの?」といった感じで驚く人が多いです。
実際に自分のことなのに自分でもコントロールできない姿を観るのはとても不思議な世界です。
しかしその場で数回暗示を入れその通り不思議なことが起きたとしてもあまり人は驚かなくなります。
なぜそのようになるのかと私なりに考えたのですが、やはり「結果がわかっているから」なのです。
ショー催眠などは被験者に「あなたは催眠から目を覚ますと○○になりますよ。」といった暗示を入れます。(予告)
そして実際に予告通りになるのです。

他の例で言えば推理小説の犯人がネタバレしているようなものです。
どうでしょうか?
「これからこうなりますよ」と言われその通りになっても「またその通りになるんでしょ!」とすぐに受け入れてしまいますよね。
本当は目の前ですごく不思議なことが起きているのですが、人の慣れる能力の高さは非常に高いと常々感心させられます。
その点手品はショー催眠と違います。
手品は様々なネタを持ち、結果を言わないのはもちろん、結果の予想を裏切って楽しませてくれます。
テレビで手品と比べてショー催眠がめったに放送されないのは飽きさせないトリックがあるからなのではないかと考えています。

結果がわかるということは問題を解く前から答えを見るようなものです。
問題を解くためには自分の頭の中で「あれは違う。こう考えればどうだろう?」といった好奇心により色々な想像力を使い答えに導こうとします。
その過程が好奇心をくすぐり知りたいという欲求に駆られるのです。
その過程があることで似たような問題があったときに経験済みで印象に残っているためその考える過程が自分の中で増え自分の力となるのです。結果だけを知ることが重要なのであれば問題集と解答があれば十分なはずです。
子どもに勉強を教える時は答えを教えるより、ヒントを与え答えにどう導いていくかが大事なのではないでしょうか。

結果を知りたいという欲求は常に人の中にあることでしょう。
結果さえ知っていれば嫌なことを経験しなくて済むでしょう。
結果を知っていれば無駄な努力もしなくてもいいのでしょう。
これからはAI (人工知能)も発達し、間違いのない選択肢というのも増えてくるでしょう。
しかしその結果がわからないからこそ失敗した経験をし、またそこで人生が豊かになるのではないしょうか?
結果がわからないからこそ間違うことを否定するのではなく、それもまとめて受け入れて楽しんでみてはいかがでしょうか?

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