迷惑
今回は迷惑について書いていきます。
迷惑を辞書で調べてみると「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。」とあります。
小さいころから親や学校の先生や色々な人から「他人に迷惑をかけてはいけない。」と言われてきた人がほとんどでしょう。
またテレビや新聞などを見ても迷惑行為をした人を取り上げ、「他人に迷惑をかけることはいけないことだ。」と過剰に反応することで、「迷惑=いけないこと」が絶対になっている人もいます。
そうなってくると「自分がミスをすることで他人に迷惑をかける」といった恐怖心やまた実際にミスをしたことで「他人に迷惑をかけてしまった」という後悔などから「他人に迷感をかけない」という呪縛を背負い身動きが取れなくなる人がいます。
確かに自分の行為により、相手が不利益を受けたり、不快を感じたりしてしまうということは「相手に悪いことをしてしまった」という罪悪感や心の負担になります。
しかしよく言われることですが、「他人に迷惑をかけずに生きることは不可能」なのです。
確かに意識をすることで迷感をかける割合を減らすことはできるでしょうが、完全に0にすることは無理だと理解するしかありません。
例えば家で料理を作ったとしましょう。その時換気扇を回して、今日の料理に「にんにくを使ってみよう」と普通に料理をしたとします。
しかしそのにんにくの匂いが外をたまたま通った人がいて不快に感じたのであればそれは他人に迷惑をかけた行為になります。
そんな細かなことで誰かが不利益を受けたり、不快に感じたりすると考え始めれば何もできなくなります。
また仕事でミスをして他人に迷惑をかけることや、団体競技で自分の失敗で負けてしまうなど誰がいつ迷惑をかけてしまうかわからない状況で迷惑をかけないという呪縛を背負うことは不可能なのです。
それであればひとりぼっちでの生活をしなければなりません。
他人に迷惑をかけずに生きることは不可能なのです。
だからといって何でも迷惑をかけていいとは思えません。
基準がない分、自分の価値観などで判断しなければならないことが難しいのかもしれません。
迷惑という言葉が正しいのかわかりませんが、いい迷惑(かけてもらって嬉しい迷惑)があります。
これは私の母が病気の時に「ごめんね、また迷惑をかけて。」という言葉をよく口にしていました。
確かに看病やお見舞いなどで不利益という部分はあるかもしれません。
しかし私からすると親孝行を少しでもできるし、何より自分がしたいということを自分でしているだけのことです。
つまりその人の行為があったとしても「その人のために何かしてあげたい。」と相手が思える行為はいい迷惑ではないでしょうか。
親子や家族や恋人など無償の愛の関係です。
自分の利益などとは程遠い関係です。
このいい迷惑になるかどうかはやはり相手との信頼関係です。
「困っているこの人のために何とかしてあげたい」と相手が考えられるような関係であれば、逆に「頼られている」とか「甘えてもらっている」という気持ちを持ってもらえることに繋がり更に信頼関係を深くしてくれます。
私はなるべく意識し、いい迷惑となるようにできる限り甘えるようにしています。
あなたも少しくらい迷惑かけてもいいんじゃないですか?