死という題名できっと「えっ!」と思った方もいるのではないかと思います。
実は最近私の親戚が亡くなり、その時に感じたことを書いていきたいと思います。
今回は心遣いという題名からは少し外れてしまうかもしれませんがご了承ください。

その親戚とは長崎の方で、私も小さい頃から夏休みになれば数年に一度は遊びに行くところのお父さんになります。
遊びに行く度に本当に色々なところに遊びに連れて行ってもらい数々のできなかった体験をさせてもらいました。
夏ということもあるのでしょうが、海水浴はもちろんそれ以外にも小さい巻貝を捕りに行ったり、なまこを捕りに行ったり、時には夜釣りや夜中に蟹を捕りに行ったりと、また時にはカブトムシやクワガタを捕りに行ったりと今でも大
切な記憶として残っております。
実はそこの家には私と同じ歳の娘がいて何かを捕りに行くときには自分の娘は連れて行かず、親戚の男の子を連れて行ってくれるのです。
また普段は親戚が何人かその家に泊まり、夜中までトランプをしたり、また夜遅くに近くに出る屋台のラーメン屋に連れて行ってもらったりとあの頃からすると本当に楽しくて仕方がありませんでした。
私にとってそこはとても居心地の良いパラダイスのような所でした。(笑)

大人になってからは距離が遠いということもあって、なかなか遊びに行けず「また近いうちに・・・」といつも考えてはいるのですが、ここ数年遊びに行けず・・・。
子どもの頃はそんなことを考えることもなかったのですが自分が親の世代になってきて、考えてみると自分の子どもを置いて親戚の子どもを色々と遊びに連れて行くことはそうできるものではありません。
子どもが好きで男の子が欲しかったというのはあったかもしれませんが、やはり「遠くから遊びに来た子どもを楽しませてあげたい」という想いがないとできることではないでしょう。
また当然相手は子どもですから見返りを期待しての行動ではないこともわかります。
誰に対しても、「何をしてあげれば喜んでもらえるのか?」という無償の愛でなければできないことではないでしょか?
どうしても大人になってくると損得勘定や愛情確認などにより、自分が好きでしてあげたことなのに見返りを求めてしまっているケースがよくあります。
今回の出来事で、もう一度自分自身を見つめ直し心遣いを純粋な目で見つめていけるようアンテナを張り巡らせていければと思い、書かせていただきました。
またこういったことを経験することで、「大切な人に今できることは何か?」ということを同時に考えるきっかけになったのではないかと思います。

最後にたくさんに経験をさせてもらったことで今の私が存在していることを感謝することと同時に、ご冥福を心よりお祈りしております。

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